福岡地方裁判所小倉支部 昭和48年(ワ)191号 判決 1976年11月24日
原告
三浦博記
被告
梅田角行
ほか一名
主文
被告らは各自原告に対し金七五万四八一四円及びこれに対する昭和四五年三月二七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告
(一) 被告らは各自原告に対し金一六八〇万五三〇八円及びこれに対する昭和四五年三月二七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに第一項につき仮執行の宣言。
二 被告ら
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二当事者双方の主張
一 請求原因
(一) 原告は昭和四五年三月二六日午後五時五分頃北九州市八幡西区香月金入堂新延橋交差点において、被告梅田繁隆運転の自動車に衝突され、脳挫傷、前顔部挫滅創などの重大な傷害を負つた。
(二) 被告繁隆の運転する自動車は被告梅田角行が保有し、同被告のために運行の用に供されていたものであるから、被告角行は自賠法第三条により原告が右事故により蒙つた損害を賠償すべきである。
又、被告繁隆は運転手に要求される道交法第七〇条などの注意義務に違反して右事故を惹起したものであるから、民法第七〇九条により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
(三) 原告の症状と治療経過
原告は、昭和四五年三月二六日から同年五月七日までの四三日間と同月二六日から昭和四七年一〇月九日までの五〇三日間北九州市内の斎藤病院で、又同月一三日から昭和四八年三月二日まで福岡県嘉穂郡穂波町の上村外科医院で入院治療を受け、その後も同医院で入院治療を継続しているが、現在頭部外傷後遺症、脳夷質損傷左下肢不全マヒで仕事は全くできず、日常の起居にも付添が必要である。
(四) 損害
1 得べかりし利益 一、四六九万九、二〇八円
原告は前記事故当時四一歳であつたから六五歳まで就労可能のところ、昭和四三年度の賃金センサス「年齢別平均給与額」によると四一歳のそれは月額八万五九〇〇円であり、原告の労働能力喪失率はその後遺障害が自賠法施行令別表第四級第四号に該当するので九二%とみるのが相当であるから、原告の得べかりし利益は次のとおりとなる。
85900円×12×15.500×0.92=14699208円
2 入院雑費 二〇万六一〇〇円
3 慰藉料 二〇〇万円
原告の症状、入院期間及び将来自分一人で自活できないことなどを考えると、原告が前記事故により蒙つた精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料としては金二〇〇万円が相当である。
(五) よつて原告は被告に対し損害金一六八〇万五三〇八円及びこれに対する事故の翌日である昭和四五年三月二七日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
(一) 請求原因(一)の事実中原告主張のとおり交通事故が発生したことは認めるが、その余の事実は不知。
(二) 同(二)の事実中被告角行が被告繁隆の運転する自動車を保有し、これを運行の用に供していたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同(三)の事実は不知。
(四) 同(四)の事実中1は否認し、その余は不知。
原告は胃かいよう、肝炎、高血圧症のため稼働不能であり、昭和三九年一二月以来生活保護を受給して生活していたのであるから、原告の得べかりし利益はない。仮にしからずとしても原告の労働能力喪失率はその後遺障害が重くみて自賠法施行令別表の第九級にしか該当しないので三五%程度というべきであり、又原告の収入額についても、原告には労働可能な健康とその意欲が欠けているので、賃金センサスの平均給与額によることは妥当でない。
三 抗弁及び被告らの主張
(一) 免責
被告繁隆は前記事故当時引き続き進行している自動車の流れの中で、車間距離も適当に保持し、極めて慎重に自動車を運転進行していたのであるが、原告が酒に酔つて自転車に乗車し、連続進行している車の流れの中に進入し、被告繁隆運転の自動車の直前に出たため、被告繁隆としては如何ともしがたく、本件交通事故が発生したものであるから、右事故については原告に一方的過失があるものというべく、又被告繁隆運転の自動車には構造上及び機能上の欠陥障害はなかつた。
(二) 過失相殺
仮に被告繁隆に過失ありとしても、その程度は原告のそれに比して極めて軽度であり、原告の過失は大きいので、過失相殺されるべきである。
(三) 示談
本件交通事故については、昭和四五年五月一〇日被告らが原告に対し金二六万円を支払う、原告はその余の請求を放棄するということで当事者間に示談が成立し、被告らはこれを原告に支払つて解決済である。
(四) 損害の填補
原告は前記のとおり被告から本件交通事故による損害金として二六万円を受領したほか、自賠責保険から一三六万八三三〇円を受領した。
四 抗弁及び被告らの主張に対する答弁
抗弁及び被告らの主張中、原告が被告角行から二六万円を受領したことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告が主張する示談は原告の斎藤病院への第一回目の入院後第二回目の入院前の比較的軽快している時期になされたものであるが、その後再入院していることや傷害の重大性に鑑みると、右示談はその効力を生じないものである。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 事故の発生
原告が昭和四五年三月二六日午後五時五分頃、北九州市八幡西区香月金入堂新延橋交差点(以下本件交差点という。)において、被告梅田繁隆運転の自動車(以下被告車という。)と衝突したこと(以下本件事故という。)は当事者間に争いがない。
二 事故の態様
成立に争いのない甲第八号証の一ないし一〇、同甲第九号証、同甲第一一号証及び被告梅田繁隆本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(一) 本件事故現場付近の状況は別紙図面のとおりである。道路はいずれもアスフアルト舗装で平坦である。
(二) 被告繁隆は被告車を運転して新延川に沿う道路を畑方面から香月電停方面に向け時速約六〇キロメートルの速度で進行中、本件交差点(三叉路)に差しかかり、同所を中間方面に右折しようとして時速約五〇キロメートルに減速し、右折の合図をした。その際、同被告は、右折道路をゆつくり対向してくる軽四輪自動車と、進路前方約六八メートルの地点に新延川に沿つた道路を香月電停方面から本件交差点に進入せんとしていた原告の乗車する自転車を認めたが、夕日をまともに受けたため、自転車との距離感を誤り、自己が自転車より先に通過し得るものと軽信し、減速徐行などの措置をとることなく前記同一速度で、右折道路を対向してくる自動車にのみ注意を向けて右折を開始したところ、約三五・四メートル進行した交差点進入直前の地点で、前方一九・四メートルの地点に自転車が接近しているのに気づき、衝突の危険を感じて直ちに急制動の措置をとつたが、間に合わず、約一四・四メートル進行した交差点内で自転車と衝突した。
(三) 一方原告は新延川に沿つた道路左端を香月電停方面から畑方面に向け自転車に乗車して進行中本件交差点に差しかかつたが、右折しようとしている被告車に全く気づかず、そのまゝ本件交差点に進入したため、被告車と衝突し、自転車もろとも新延橋上に転倒した。
なお被告らは、原告が本件事故当時飲酒酩酊していた旨主張し、これに副う証拠としては、証人松尾熊雄の証言及び被告梅田繁隆本人尋問の結果中に原告に強い酒臭を感じた旨の証言ないし供述が存するが、事故直後に作成された被告繁隆の司法巡査に対する供述調書(前掲甲第一一号証)によるとその旨の供述のないことが明らかであること及び右証言ないし供述は本件事故後かなりの時日を経過した後のものであることなどの点に照らせば、右証言等はたやすく措信しがたいといわざるを得ない。
三 原告の受傷及びその治療経過等
成立に争いのない甲第一ないし第三号証、同甲第七号証、同乙第三号証の一ないし三、証人斎藤國雄、同宮田シズの各証言及び原告本人尋問の結果によると、原告は本件事故により脳挫傷、前額部挫滅創、上口唇挫創の傷害を負い、即日北九州市内の斎藤病院に入院し、同病院にて昭和四五年五月七日までの四三日間入院治療を受けたが、同日、長期の入院治療による自賠責保険からの受領額の減少を憂慮して退院したこと、しかし同月二六日頭痛や歩行困難などの症状に見舞れたため、再度斎藤病院に入院し、同病院にて機能回復訓練を受けるなど昭和四七年一〇月九日まで入院治療を継続したが、治療効果は芳ばしくなかつたこと、その後福岡県嘉穂郡穂波町の上村外科医院に同月一三日から昭和四八年三月九日まで入院し、同日同病院を退院した後は時々通院して治療を受けているものの、その症状にさしたる変化のないこと、原告の現在症状としては、軽度の言語障害があり、右下肢に全知覚障害があるため歩行障害があり、右手の知覚麻痺と頭痛(殊に降雨時)を訴えていること、原告のこれらの症状は原告が本件事故により受けた脳挫傷に基因する頭部外傷後遺症と目されるものであり、今後回復の見込のないことが認められる。
四 被告らの責任
被告梅田角行が被告車を保有し、これを運行の用に供していたことは当事者間に争いがないところ、前記事故の態様によると被告梅田繁隆には本件交差点を右折するにあたり減速徐行し、かつ直進車たる自転車の進行を妨げてはならない義務があるのに、これを怠り、時速約五〇キロメートルの速度で右折した点において本件事故につき過失があるというべきであるから、被告角行の免責の抗弁は理由がなく、従つて同被告は自賠法第三条により、又被告繁隆は民法第七〇九条により、いずれも原告が本件事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
五 示談の主張について
前記三に認定の事実に成立に争いのない甲第一三、一四号証、同乙第一号証、証人松尾熊雄、同宮野清人の各証言及び被告梅田繁隆本人尋問の結果を総合すると、被告らは、原告が昭和四五年五月七日斎藤病院を退院した直後の同月一〇日、原告の代理人宮野清人との間で、被告らが原告に対し二六万円を支払う、当事者双方は以後の推移如何に拘らず本件事故に関しては一切異議を申立てないとする内容の示談契約をなし、被告らは宮野に即日二六万円を支払つたこと、しかして原告の代理人宮野が右程度の金額で示談に応じたのは原告が既に退院しており、原告からも全快したようなことを聞いていたので、原告に後遺障害が残存しなお治療を継続しなければならないなどとは予想もしなかつたからであり、被告ら側も又原告が既にほとんど健康を回復していたことを前提として示談に臨んでいたこと、ところが原告の症状は予期に反し一向に好転しないのみか、原告は昭和四五年五月二六日から再入院を余儀なくされたうえ、将来回復不能な頭部外傷後遺症が残存することになつたことが認められる。
右認定の示談契約の文言からすれば、原告は二六万円の賠償金を受領して以後の一切の損害賠償請求権を放棄したかの如く解されないわけではない。しかしながら事故後早期の段階で小額の賠償金をもつて満足するこの種示談契約においては、「以後一切異議を申立てない」旨約されたからといつて、これをもつて、当事者がその当時予想だにしなかつた不測の治療の継続ないし後遺症の発生による損害についてまで、損害賠償請求権を放棄した趣旨と解しこれに拘束力を認めるのは、当事者双方の合理的意思に合致したものとはいえず、結局右の如き示談によつて被害者が放棄した損害賠償請求権は、示談当時予想していた範囲内のものに限られると解するのが相当である(参照最判昭和四三年三月二五日最高裁判例集第二二巻第三号五八七頁)。
しかして前記認定の事実によれば、原告の昭和四五年五月二六日以降の再入院及び後遺症の発生は、当事者が示談当時予想だにしなかつた不測の事態であるというべきであるから、原告はなお被告らに対し右再入院及び後遺症の発生により生じた損害の賠償を請求し得るものといわざるを得ない。
六 損害
(一)1 入院雑費
前記認定の治療経過によれば原告の昭和四五年五月二六日以降の入院期間は合計一〇一四日に及ぶことが明らかであるところ、当時、原告の症状程度による入院の場合一日あたり二〇〇円を下らない雑費を要したことは当裁判所に顕著であるから、右入院期間中の雑費合計を算出すると二〇万二八〇〇円となる。
2 得べかりし利益
成立に争いのない甲第九号証、同乙第二号証、証人宮田シズの証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当時四一歳であり、胃潰瘍、肝炎、高血圧症のため十分な就労ができないとして生活保護を受給していたが、月あたり少くとも一〇日間は日雇の土工として働き一日一五〇〇円の割合による日当を得ていたこと、しかし本件事故後は就労していないことが認められる。
しかして前掲乙第三号証の二によれば原告の現在の後遺障害は自賠法施行令別表後遺障害等級表の第九級第一四号(神経系統の機能に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの、但しこれは昭和五〇年一二月五日政令第三四七号による改正前のものである。)に該当することが認められるところ、労働基準監督局長通牒によると右後遺障害に対する労働能力喪失率は三五%であるとされており、これに加え、前記認定にかかる後遺障害の内容、原告の年齢及び従前の職種に鑑みれば、原告は本件事故後就労可能な六五歳に至るまでの二四年間平均して四〇%の労働能力を喪失したものと認めるのを相当とする。
そこでこの間の原告の得べかりし利益の現価を年毎に年五分の割合による中間利息を控除するホフマン式計算法により算出すれば、次のとおり一一一万五九七八円となる。
1500円×10×12×15.4997×0.4=1115978円
(二) 過失相殺
前記事故の態様からすれば、原告にも本件事故につき、本件交差点を進行するにあたり右折の合図をして右折しようとしていた被告車に全く気づかなかつた点において前方注視を怠つた過失があるものというべきであるから、右過失を原告の損害を算定するにあたり斟酌すべきところ、以上の損害からその三割を減ずるのが相当である。従つて原告が被告らに対し求め得べき入院雑費と得べかりし利益の合計は九二万三一四四円となる。
(三) 慰藉料
原告の昭和四五年五月二六日以降の治療経過、後遺障害の内容、程度、原告の年齢、本件事故における原告の過失等諸般の事情を考慮すると、原告の斎藤病院への再入院後の治療及び後遺障害による精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料としては金一二〇万円をもつて相当とする。
七 損害の填補
成立に争いのない乙第三号証の四によれば、原告が本件事故に関し、自賠責保険から一三六万八三三〇円を受領したことが認められるから、以上の損害からこれを控除すれば七五万四八一四円となる。
被告らは示談金二六万円の控除をも主張するが、前記のとおり右二六万円は示談当時予想していた範囲の損害に対するものであるから、その後予期しない事態から発生した以上の損害からはこれを控除する必要がないものである。
八 結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告らに対し損害金七五万四八一四円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和四五年三月二七日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があるので認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二、九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 園田秀樹)
別紙 <省略>